| 山岡兼三(創始者・初代主将) |

山岡頭領と始めた空手部はおだやかな校風の学園では異端者の群れと、白い目で見られたものです。部員も激減して3~4人の時もしばしありました。学園総務にお願いし使用していなかった物置小屋に部員達の部室を作り大喜びしたものです。 文・写真提供:初代副将 平岩宏武
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| 小原 直(6代副将) |

空手道部・草創期の部室前“マキワラ”と“Dandy”ツーショット
中村 健/型 「明鏡」
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| 升谷孝行(16代主将) |

卒業してOBとなっても、ほぼ毎日、3年あまりも現役の稽古に参加!その熱心さに当時の幹部は日々恐れおののいていた。そしてそれは今や伝説化している。 (升谷氏に詳しい、K氏の談による)
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| 平岩宏武(初代副将) |

写真は上左とも昭和29年頃の学校体育館での稽古。 組手で“上段受”の人は八尋幸一 先輩(初代)
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| 中村 健(15代主将) |

昭和56年より成城大学空手道部監督、平成10年より同部師範に就任 同年「柔らかい動きの空手道 日本空手道松濤會 夢道塾 空手道 型」を“本の友社”より出版するなど、精力的な活動をされておられました。 上写真の撮影者は15代副将 野瀬栄一氏
※同氏が本部道場にて演武された型「明鏡」の映像がご覧いただけます。free ↓
中村 健/型 「明鏡」
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| 川原田健二(4代主将) |

空手道部草創期 昭和30年当時は流儀が、大山道場(後の極真会)、松濤館 他、種々入り乱れ、定まっておりませんでした。現在のように 我部が「松濤會」の支部として1本化したのは、 4代 川原田先輩のご尽力によるものだったのです。 初代師範は柳澤基弘先生
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| 野瀬栄一(15代副将) |

← 故 中村健君の跳び蹴りの写真を見てなつかしく思いました。この写真は3年の夏の合宿で初段になった記念にと二人で母の館の前で撮った写真です。
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